今日、3月10日は東京大空襲があった日。
というニュースをテレビで見た。そうかと思っていろいろ考えを巡らせた。そして大方のニュースがそうであるように、また日常に戻る。いつもの通りのいつもの風景だ。
午後になって床屋に行き、なじみの店長と馬鹿話をしながら髪を短くしてもらう。それから電車に乗って買い物に出た。
帰り道。電車の中でケータイを弄っていると、ニュースに触発されたのか、TwitterのTimelineには空襲を受けた人たちの体験談と言われるものがポツポツと投稿されてた。それを見ていると、なんだか変な気持ちがする。誰かが体験した、誰かの話を、誰かが引用し、更にそれを何度か引用されたものを僕が目にしている。
書かれている事実は具体的なのだけれど、なんだかキッチリとし過ぎていてその現実感が少し歪んで見える。具体的な理由は良く分からない。でも僕にはそう見える。
それで買い物帰りの電車を降りて、家の近所の喫茶店に飛び込み、コーヒーを飲みながらこの文章を書いている。なぜかは分からない。今から10年以上前、まだ健在だった母方の大叔母がしてくれた東京大空襲の話だ(僕は大叔母の事を「祖母ちゃん」と読んでいたので、以降は「祖母」とさせていただく)。
さて。
祖母がその話を僕にしてくれたのは、僕がそれをせがんだからだ。祖母は当時深川だか本所だか、とにかく東京の下町に住んでいて、空襲にあったという話を母から聞いていた。
それで、実際に体験した人の話を聞いて見たかった僕は、祖母に話をせがんだのだ。祖母はあまり気乗りしない様子だったが、ついにはあきらめたように口を開いた。
その日、いつものように空襲警報が鳴り、祖母は近所の小学校に作られた防空壕に避難しようとしたという。ところが、その日はもう防空壕は人で一杯で入る事ができず、祖母は諦めて小学校を離れた。やがて町のあちこちから火の手が上がり、祖母は無我夢中で逃げ回った。とにかく火の手が弱い方へ、どこをどう逃げ回ったのかは全く覚えていない。
ようやく火の手が収まり、元の小学校に戻ってきた祖母が目にしたのは、炎で蒸し焼きにされて真っ黒な炭になった人で一杯の防空壕だったという。
おしまい。
こうやって書いてみると、恐ろしく単純な話だ。もしかしたらもう少し何か話があったのに、僕が忘れてしまっただけなのかもしれない。それでも、いま考えてみるとそれほど長い話ではなかったと思う。でもその時の僕にとってはまるで何時間も経ったような気がした。
少し間があって、祖母は言葉を継いだ。
「今でも、こうやって目を閉じると、暗闇の中から『助けて。助けて』って声が聞こえてくるような気がするんだよ」
こうして祖母は話を終えた。祖母の家の4畳半の居間からは庭の梅の木が見えて、鳥の鳴き声が聞こえた。柔らかい光の差し込む部屋の中は外よりしんとした空気に満たされていた。
話を聞いた4畳半の居間があった家は綺麗に立て替えられてしまい、話をしてくれた祖母も数年前に他界した。今でも時折、祖母が最後に話していた事を思い出す。そしてこの文章を書きながら、そういえば祖母は一人で逃げ回っていたのか、誰かと一緒だったのか、何も話をしなかったことに気づいた。
祖母が当時の僕に話さなかったことが何なのか、今となっては分からない。もしかしたらと想像することもあるけれど、それは詮無いことだ。