2016/12/17

#whisk(e)y と私

これはpyspa Advent Calendar 2016 17日目の記事です。

はい。誰かことturkyです。今日はこの機会をお借りして、僕の大好きなお酒であるWhisk(e)yについて振り返ってみたいと思います。

20代の頃、僕は雑誌の編集部にいました。ほぼ毎日終電で帰宅して近所のアメリカンバーに繰り込み、浴びるようにバーボンを飲む日々。ボトルを入れても3日位で開けてしまうようなひどい飲み方をしていた記憶があります。チェイサーが眞露だったこともありました(これはマスターのいたずら)。グラスがなくてラッパ飲みしていたことがあったような気もします。

公園で寝てしまったり、記憶をなくすという体験をしたのもこの頃です。いま思うとそういう代償行為によって、自分を保っていたんだろうなと思います。

当時はEzra Brooksの12年、Yellow Rose of TexasやMaker's Markとか好きでした。しばらく飲んでませんが、多分、いまでも好きです。僕のハンドルであるturkyも、もともとはWild turkeyと自分の名字を引っ掛けてつけたものです。

が、30歳になる頃ひょんなことから結婚しまして、そういう飲み方はほぼ無くなりました。それと前後して、当時仲良くしていただいていた方に連れられて、ニッカウィスキーの余市蒸溜所を訪問する機会がありました。この辺りがバーボン以外のウィスキーを飲むようになった始まりです。とはいえ、まだその頃飲んでいたのはバーボンが中心で、スコッチウィスキーは時々飲むものという位のものでした。

それからしばらくして、妻が「お茶を習いたい」と言い出します。もちろん彼女が自分の好きなことをするのに異論はありませんが、「僕も何か新しいことをしたいな」と思って、ふと思い出したのが通勤途中で目にしたポットスチルの看板です。こちらのお店

いま思うと幸運だったという他ないのですが、このお店がとても素晴らしく、特にマスターのお酒に対する知識と愛の深さ、料理番である山口さんの料理のセンスとお人柄(もちろんお酒の知識も)にはいつも新鮮な刺激をもらっていて、それ以来もう10年以上通い続けています。

とはいえ、とても意識が低いウィスキー飲みなので、銘柄とかは何となくしか覚えておらず、未だに「こんな感じのが飲みたい」「この間飲んだ〇〇が良かったので似たような(あるいはそれより△△)なやつ」「あのラベルが気になるけどどんな味ですか?」というような適当な注文しかしていません。

さて、ある時マスターに「埼玉で作ってるウィスキーがあるんです、面白いですよね」とお勧めされたのが、どんぐりのラベルがついた1本。それがイチローズ・モルトとの出会いでした。それまで飲んだことのない個性的な味で、この最初の1本がいまでも一番印象に残っているイチローズ・モルトの味です。

当時、ベンチャーウィスキーは設立間もなく、肥土さんは各地のバーを巡って商品を売り込むとともに、蒸留所設立という構想を練っていらしたそうです。元のWebサイトは消えてしまっているけど、こちらのアーカイブでその一端を垣間見ることができます。

http://web.archive.org/web/20050127203028/http://homepage3.nifty.com/venture-whisky/

当時の商品は主に羽生時代のストックでトランプのカードをラベルにあしらった「カード・シリーズ」、特に印象に残ってるのはミズナラ樽でフィニッシュをかけたクラブの2だったと思います。

それから数年して秩父蒸留所が稼働を開始し、ウィスキーを仕込んでいたのは知っていたのですが、2011年に「ついに秩父が最初のボトルを出すのでお披露目会をするんです」と教えてもらいました。完全に物見遊山で参加したそのイベントがすごかった。

大宮のホテル宴会場で行われたイベントは、ほぼマニアックなモルトファンで占められていて、夫婦で参加した僕らのような物見遊山な客はほぼいない。みなさん玄人のウィスキー飲みなので、ウイスキーはもちろんチェイサーもどんどん飲んでいて、ホテルのスタッフが「どうしてこんなに水が足りなくなるんだろう」という顔をしながらピッチャーを繰り返し補充していたのが印象に残っています。

この時お披露目されたのが「Ichiro's Malt CHICHIBU The First」で、イチローズ・モルトへの注目も今に比べれば限定的だったため僕でも購入できました。1本はVoluntas氏が「瀧澤さんの作った料理が食べたい」というリクエストで行われた自宅での飲み会の時に開け、その後ちびちびと飲んでしまいました(下記は取ってある空瓶)。

ところでこのお披露目会、最後に来場者に配られたお土産が秩父蒸留所のニューポット(蒸留器から出たままの原酒)と原料である麦のセット(下記)。後からお聞きした話ではイベント前日に急遽お土産をと、蒸留所のスタッフが夜なべして詰めたものだということです。おそらく世界に数百セットしか存在しない大変貴重な品で、家には2セットあったこともあり、一つは尊敬する先輩が前の職場を退職された時に記念に差し上げ、もう一つは家宝として大切に保管しています。



このイベントはその後も継続し、川口での2度目のイベント(日程の都合で参加できなかった)を経た後で秩父ウィスキー祭りに引き継がれることになります。
最初のウィスキー祭りが、これまた伝説的なイベントで、開催の前の週に関東地方が記録的な大雪に見舞われて開催そのものが危ぶまれつつ、ギリギリの状態で開催されたという経緯があります。写真を見返してみても、秩父神社の境内や周りの風景が、それ以降のものとは全く異なるのがよく分かります。確か秩父へ向かう電車の中で、大雪の視察に向かってるらしき議員さんが浦和の熟女パブの話をしてたのを思い出します。

https://goo.gl/photos/vajmzwatNcvdvRkc7

翌年2015年は、念願の秩父蒸留所を見学に行った年です。それまで余市、山崎、宮城峡と見学に行ったのですが、そのどれとも似ていない、独自のウィスキー作りを見学できたのが楽しかったです。下記に写真の一部をまとめてあるのですが、機械の操作盤に養生テープを貼って注意書きをするのは、自分もよくやる手法なので妙に親近感が湧きました。またこの年は蒸留所見学の後秩父に宿をとって秩父駅からシャトルバスで温泉に行ったり、県内なのに1泊旅行をするという体験もしました。

https://goo.gl/photos/M9Sw2Ex5twNw2bnTA

さて、いよいよ2016年。今年は家族が仕事の都合で参加できず、初めて一人での参加。ですがymotongpooや前述した先輩など、見知った知人が参加しているという初めての回になりました。世間的にもウィスキーへの注目が大変集まっているタイミングで、前年では考えられないような時間から長蛇の列ができるなど、これまでの経験が通用しない回になったと思っています。

https://goo.gl/photos/2T127AbhiyL8pPxCA

ということで、まとまりがありませんが私とウィスキーの関わりについてざっと振り返ってきました。イチローズモルトを中心にしてきましたが、このほかにも余市、山崎、宮城峡を見学した時の話とか、素敵なバーの話とか書きたいことは沢山あるのですが、それはまた別の機会に。

#一部は以下に書かれてます。
http://turky-in-the.blogspot.jp/2015/01/blog-post.html

明日はところてん先生によるエントリです。刮目して待たれよ。

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