2016/12/20

カルマの消尽について

先日のエントリを書くべく、久しぶりにブログツールのコンソールを開いたところ、1年ほど前に書いた文章がほぼ書き上がった状態で見つかったので、ちょこっと手直しして公開します。問題はいまだ解決されません。嗚呼。

プログラミング関連で定期的に参加している集まりがあって、もう6、7年になるのだけれど、そこへ参加しているメンバーの中でいつの間にか最高齢グループに入っていた。そのこと自体は時の必然なのでどうということはないのだけれど、自分が年齢を重ねて行くにつれてある問題が浮上している。カルマの消尽である。

ここでいう「カルマ」とは仏教でいうところのアレではなくて、簡単に言うと「これまで奢って(たかって)飲み食いした分の借りをどう返すか」という問題だ。

20代のころは色々な人に奢っていただいた。僕の指導教官であった先生は大変お酒の好きな方で、学生と席を同じくした時には学生たちに一切お金を払わせないというので有名だった。

また、ある年の夏休みに北海道を歩いて旅行していて、道すがら車に乗せていただいたおじさんに寿司をご馳走になったことがある。同じ旅行では、釧路駅の待合室でフランスパンを齧りながら水筒の水を飲んでいたところ、向かいに座ってらした初老のご婦人に「美味しいものでも食べて」と2千円いただいてしまったこともある。

四国を歩いて旅行した時にも同様のことがあった。その時は高知駅で出会った人と一緒にテントを張ることになって、高知駅からキャンプ場までのバス代とその日の夕食を奢っていただいた。まったくの余談であるが、その方は伊藤園に勤めているという話をしていて、そのせいでいまでもペットボトルのお茶を買う時は伊藤園が最有力候補である。

社会人になってからも、先輩たちに奢っていただいたり、上司やその上司たちに沢山奢っていただいた。場合によっては、はじめから奢られる気満々でそのような人たちに「飲みに行きませんか」と声を掛けたことだってある。我ながらひどい話だ。

そうやって奢っていただいた時には、単に「しめしめ」と思っていただけだったのだが、自分が当時の彼/彼女らの年齢になってみると「このままでいいのだろうか(いや、よくない)」という想いに駆られるようになった。それは年々、強まっている。

以上、僕が「カルマ消尽問題」と呼んでいる問題のあらましである。同年代の友人にこの話をすると、少なくない人数が同様の問題を抱えているようである。

ところが、である。最近の若者達はあまり酒席が好きではないらしい。そもそも飲酒の習慣をもたないという人だっている。そのこと自体は個人の嗜好なので僕がとやかくいう事ではないのだけれど、連綿と続くカルマのバトンを握ったまま途方に暮れる40代オッサンが結構いるのだ。

ということで、この記事をお読みになった若人諸君は、ぜひ老人介護の一環としておっさんとの飲み会に付き合っていただけると我々としては大変嬉しい。時折「酒の席で説教されるのが嫌だから酒席を避ける」という話を聞くことがあるが、この問題は大変簡単に解決できる。説教されなさそうな人を選んでいただけばよろしいのだ。

と、ここまで書いてきて気が付いた。「あれ、もしかして僕面倒くさい人なの?」

つらい。

0 件のコメント:

コメントを投稿